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国連の生物多様性条約の締約国会議が年内に開催され、地球環境や豊かな生態系の保全に関する次の10年間の目標を決める。持続可能な開発目標(SDGs)や気候変動問題に比べると、認知度が低い生物多様性だが、極めて重要なテーマでもある。生物多様性に詳しい地球環境戦略研究機関(IGES)の武内和彦理事長に聞いた。
「聞いたことない」が半数
-生物多様性の認知度が低いのはなぜか
「一つは、概念がすぐに分からないためだ。普通は種の多様性をイメージする。定義を分かりやすく言うのが難しい」
-浸透していない?
「内閣府の調査によると、平成26年に生物多様性の言葉の意味を知っていた人は16・7%。令和元年には20・1%。聞いたこともなかったが約半数だった。ただ、質問を変えて『自然について、どの程度関心があるか』と聞くと、関心がある人は平成26年が89・1%、令和元年が90・6%だった。つまり、関心がないのではなく、生物多様性という言葉の意味が分からないだけだ。中身がもっと分かるように、努力をして広めていかなければならない」
-地球温暖化に比べ、「問題は何か」が分かりにくい
「地球温暖化は、どの場面でも二酸化炭素(CO2)排出量の削減だ。地球全体でも、家庭でも。だから分かりやすい。生物多様性は地球の生態系、地域ごとの生態系と、場所ごとに生物の豊かさの質が異なる。そういうものが大事だと理解するのは難しい」
しっぺ返しがくる
-そもそもなぜ生物多様性は大事なのか
「大きく分けて2つあると思う。生物多様性そのものが維持され、自然の状況が変化することによって変わっていく。そうしたダイナミックな地球上の生き物の進化の歴史があり、これを大きく妨げるようなことを人間がするのは問題だ。つまり、自然の摂理に対し、人間があまりにも過度に干渉しすぎることが大きな問題となっている。本来の自然の変動とそれに従った生物多様性の変化という関係が人間活動の拡大により大きく崩れつつある。このことをどう考えるかは根本的な問題である」
-もう一つは
「このままではやがてしっぺ返しが来るという点だ。例えば、遺伝的多様性が損なわれると品種改良や医薬品の開発のための素材がなくなってしまう。生物多様性をないがしろにすることは、私たちの暮らしをないがしろにすることにつながる。生物多様性条約では、以前はその観点をあまり強調してこなかった。かけがえのない生物多様性の減少に歯止めをかけるべきという議論が中心だった。しかし、それだけでは社会に浸透せず、自身の問題だと考えてもらえない。最近の締約国会議では身近な問題であるという論調が強まり、様々な報告書もこれを強調するようになっている」
-人間の営みと生物多様性が共存できていない?
「農業や都市開発の在り方が、根本的に生物多様性に対する配慮を欠いていた。もちろん、地球温暖化も大きな原因の一つ。生物多様性によって温暖化の危機が顕在化した。例えば、海洋の温暖化や酸性化の進行により、サンゴ礁の消失域が拡大している。極めてセンシティブな生態系で、非常に大きな影響を受けている」
-対応はどうか
「今までは、地球温暖化の専門家と生物多様性の専門家は別だった。科学組織も別で、条約も、目標も別。近年は、こんなバカなことをしていていいのかという機運が高まっている。気候変動枠組み条約では温暖化の最終的なまとめに、生物多様性の議論が出ているし、生物多様性条約でも次の目標採択時には間違いなく、地球温暖化が非常に大きな要因であると記されるだろう」
SDGsの役割
-SDGsが後押し役となっている
「環境関係は今までバラバラにやってきた。例えば、気候変動と陸域、海域の生態系、農業、貧困。SDGsという傘の下で、すべてを統合的に考えるというアプローチが重視されるようになってきた。最近のこうした動きは、SDGsがもたらした大きな効果だ」
-気候変動も生物多様性も全てつながっている
「今、私たち専門家の間では『未来を決する10年』だと言われている。2030年頃までの間に、今の経済成長が環境を壊すというパラダイムを変えないともう間に合わない。気候変動も、生物多様性も2030年までに何ができるか。今のペースではいけない。その先の2050年、2100年に、地球環境を残していけるかどうかの瀬戸際なのだ。ここで行動しなければ、人類社会の未来は悲惨なものになると、世界中の学者が警告を発している」
-締結国会議の状況は
「2010年に名古屋で開催された第10回生物多様性条約の締約国会議で、2つの大きな目標が採択された。一つは遺伝資源の公正で衡平(こうへい)な配分に関する名古屋議定書。もう一つは、2020年までに達成すべき生物多様性の目標の愛知目標である。しかし、大部分の愛知目標は達成できておらず、むしろ当時よりも悪くなっているものも多い。今年は、それを踏まえて次の世界目標を決めなければいけない」
-うまくいった対策はあるか
「例えば保護区域の拡大。日本でも国立公園を増やし、沖合に海洋保護区を拡大した。しかし、農林水産業などで問題の根本的な原因を除去するような改善があったかと言うと、なかなか進んでいない」
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種、遺伝子、生態系
生物多様性とは、生き物たちの豊かな個性とつながりのことを指しており、国連の生物多様性条約の定義では、3つのとらえ方がある。
もっともよく知られているのが種の多様性。生物には動植物から微生物、菌類に至るまでさまざまな種類が存在する。これら一つ一つが地球の長い歴史の中で進化の過程を経て存在している。
もう一つは遺伝子の多様性。同じ種でも遺伝子によって特徴には差異が生じる。つまり、非常に近しく、違いが少しだけのこともあれば、特徴が大きく異なっていることもある。
さらに、生き物は互いに関係を持っていること。環境と生き物は相互作用し、個としても集団としても関係性を保ちながら生きている。また、それぞれの地域で独自の生態系が形成されている。このように生態系が多様であることも自然環境と人間社会双方にとって重要な意味を持っている。
筆者:黒田悠希(産経新聞)
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武内和彦(たけうち・かずひこ)
昭和26年、和歌山市生まれ。東京大大学院農学系研究科修士課程修了。農学博士。東大教授などを経て、東大サステイナビリティ学連携研究機構長。国連大上級副学長、国連事務次長補等を歴任。現在は地球環境戦略研究機関理事長のほか、東大未来ビジョン研究センター特任教授も務める。